パリに眠る名花マリー・タリオーニ
オペラ『悪魔のロベール』の尼僧の踊りで脚光を浴びたマリー・タリオーニ(1804〜84)は、それから4ヶ月足らず後の1832年3月、『ラ・シルフィード』に主演し、当時まだ珍しかったポワント技法を披露、ロマンティック・バレエの新時代の到来を告げる。『悪魔のロベール』の映像をご覧の方はお気づきのことと思うが、マリー自身、このような妖しげな踊りは自分には合わないとして数回で降板。そのリベンジとして、真にこの名花にふさわしいバレエをと、『悪魔のロベール』でロベールを演じた歌手のアドルフ・ヌリが台本を書いた新作バレエが『ラ・シルフィード』である。マリーは、この作品で、優雅で繊細な魅力を遺憾なく発揮し、名声を博したのである。
ところで、そのお墓は長い間、パリのモンマルトル墓地にあるとされていた。参拝者が絶えず、墓石の上にはトゥシューズが山積みになっているという話を耳にして驚いたことがある。
実は、モンマルトル墓地にあるのはマリーのお墓ではなく、その母のもので、マリーが眠っているのはパリの東に位置する別のお墓である。
なぜこのような誤解が生まれたのだろうか。想像するに、それはどうやら墓地の間違った案内図のせいと思われる。
今は休刊になった「DANSER(ダンセ)」という舞踊専門誌の1994年11月号で、万聖節(11月1日の墓参の日)に因み、舞踊家のお墓を特集したことがある。そこで初めてモンマルトルに眠っているのはマリーの母だと知ったのである。
墓石を注意深く見てみると、確かに「マリー・タリオーニ愛する母へ」と刻まれている。
そこでマリーのお墓を探しに別のお墓に向かう。墓地の事務所で所在を訊ねると、××区の△—□と教えてくれた。しかしあまりにも広い。果たしてマリーのお墓参りができるのであろうか。唯一の手がかりは雑誌に掲載されていた写真だが、周囲は同じような形のお墓ばかり。墓石の文字も摩耗し読み取れない。辺りを探し回ること30分、さすがにあきらめて帰ろうとした時、奇跡が起こった…。
マリーの霊が導いてくれたのだろうか、雲の間から一筋の光が目の前の墓石を照らしたのだ。そこには「deVoisins(ド・ヴォワザン)」の文字がくっきりと。マリーが結婚したジルベール・ド・ヴォワザン伯爵一族の墓である。因みにマリーは伯爵と1832年に結婚するが1844年離婚。引退後、マルセイユで亡くなったマリーは、当地に葬られたが、後に孫達がパリにある一族のお墓に移したという。最近では徐々に花やトゥシューズを捧げる人が増えてきたようで、マリーの霊も報われたことであろう。
なおモンマルトル墓地にあるニジンスキーのお墓にも家族のストーリーがある。この話題はまた別の機会に譲りたい。
(週刊オン・ステージ新聞2020年5月22日号)渡辺真弓