共産党、そして左翼が危険な理由。社会主義との違いは?(2013/08/08)

都議選そして参議院選とやや共産党が議席を増やし支持が増えているように思えます。しかし一方で投票率が低いので、共産党はほぼ必ず投票に向かうであろう組織票が固いので、議席増に繋がっただけとの見方もあります。そして似て非なる政党の社民党(旧社会党)は、更なる退潮傾向に歯止めはかけられていませんでした。ここ20年ほどの共産党もそうでした。

そもそも共産主義と社会主義そして極左グループ、何がどのように違うのでしょうか? 日本共産党と社民党(旧社会党)とはどのような違いがあるのでしょうか?共産主義そして左翼勢力が、何故警察の暴力革命の方針を堅持している監視対象としてあげられ、どうしていまだに公安調査庁の破壊活動防止法の対象団体として指定されているのでしょうか。何故共産主義は危険な思想として言われているのでしょうか?明確に認識することが、これからの日本の進むべき正しい選択の答えとなるのではないでしょうか。

日本共産党という党の歴史を全く知らずに一見響きの良さや甘い言葉に釣られて共産党の活動を支持したり、活動に参加されてる方々がいます。共産党の歴史すら知らず、全く無知な状態では非常に危険だと思います。日本共産党の歴史を調べ、知ってから再度その活動に賛同できるか考えていただきたいと思います。

共産党に平和を語られても、とても素直にああそうですかとはどうしても思えません。これまでの共産党の歴史を隠すが為に異常に平和、人権、権利を叫び続けなければならないのだとしか理解できません。やはり隠し事があるからこそ必要以上に耳障りの良い言葉を挙げ続けているのだとしか思えません。

公安当局が把握している共産党員は日本全国で約31万人です。共産党は衆議院の格選挙区全てに候補者を立て、その投票数を詳しく分析することにより支持層や支持の状況、潜在する共産主義者等を把握してきています。まず当選は難しいと思われても各選挙区に立候補者を擁立する理由です。つまりその裏には共産主義革命の賛同者の動静を把握する為と言うことに他ならないのです。

戦前からの代表的な左翼組織の一つが日本共産党です。日本共産党(存在としては非合法組織)は戦前の時、戦争に反対したので信頼できると評価して信じる人がいますが、これは大変な誤解です。そして現在の志位委員長も同様に「戦争に反対したのは共産党だけなんです」と発言しますがそれは嘘です。当時の共産党は、革命の原動力としての戦争については肯定しています。

日本の軍事力弱体化と、それによるソ連コミンテルンによる資本主義支配からの解放の為に、すなわちソ連からの日本への侵略を円滑にするために、日本の開戦に反対していたというだけのことなのです。この大東亜戦争以前の時代の共産党は、共産主義国による資本主義国に対する戦争は、党規及び実質の両面において肯定していたのです。一般的戦争の全てを否定していたというわけでは決してありません。ソビエト連邦の崩壊に対する日本共産党の言い訳は、スターリンのソ連型社会主義が失敗したのであって、日本共産党は正しいという主張をしています。しかしスターリンのソビエト共産党も日本共産党もマルクス・レーニン主義を党綱領として掲げていたのですから、言い訳としても大きな矛盾があります。

ソビエト連邦が崩壊し東欧の国々が次々と民主化され、一方で中共・北朝鮮の現実を見れば、やはり共産主義・社会主義は理想論に過ぎなかったことが証明されたのだから、いまさら日本共産党ではないだろう、社民党と共に衰退していくだろうと思われがちです。ところが日本共産党及び下部組織は、実を言うと勢力を増やし続けているのです。

衆参の国会議員数では多くありませんが、全国では既に72の自治体で与党となり、27の自治体では単独与党となっています。共産主義には賛同しないが、戦争反対やTPP参加反対、増税反対等については賛成できる、そのように思ったときには日本共産党の策略にはまったと言えます。個々の主張で見ればもっともらしく聞こえますが、日本国民の精神性の破壊や能力の低下が目的としか思えません。

「ジェンダーフリー」「過度の男女平等」「日の丸・君が代・天皇の否定」「人権擁護」「在日の参政権」「個人主義」「ゆとり教育」「男女別姓」等がそうだと思います。戦後からの反政府運動に明け暮れ、一般企業からの思想調査により職にあぶれた共産主義者が就いたのが教師や自治体の仕事です。自分たちの理想を後の世代に託します。自国の軍隊は否定しても、他国の軍隊は正しいと言い、革命が成立した時にその夢が叶うと信じているのです。

昭和26年10月の第5回日本共産党全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのは間違いである」とする「51年綱領」と、「我々は、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。

この方針に基づいて昭和の20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。一連の武装闘争は全く国民の支持を得ることは出来ずに、27年10月の衆院選では、共産党候補は全員落選しました。
日本共産党は、当時の暴力的破壊活動は「分裂した一方が行ったことで、党としての活動ではない」と主張しています。しかし、同党が20年代後半に暴力的破壊活動を行ったことは歴史的事実であり、「白鳥警部射殺事件」(27年1月)、「大須騒擾事件」(27年7月)の判決でも認定されています。

戦後の共産党が起こした事件は数多くあります。血のメーデー事件・松川事件・白鳥事件・リンチ査問事件等、対警察関連事件や暴動事件、党員関係事件、とても書ききれないので各自調べてみてください。全ては国家権力に暴力を持って対抗し、暴力によって革命を意図していたということです。その目的は国家転覆を図り、暴力をもってしても共産革命を成功させ、共産主義国家の創立を目指す、ということでした。そしてその思想は今でも日本共産党そして左翼過激派には息づいているのです。


それでは果たして共産主義とはどのような思想に基づくものか、出来るだけわかりやすく説明したいと思います。共産主義は、政治や経済分野での思想や理論、運動、体制の一つであり、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会を目指します。19世紀後半にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが共産主義思想を体系化しました。市民革命により確立した私有財産制を制限し、共有化する財産を限定し、資本家による搾取のない平等な社会をめざす「マルクス主義(科学的社会主義)」が共産主義思想として定義づけられました。その後十月革命の成功によるソビエト連邦の成立により、ウラジーミル・レーニンによる革命的な党の組織論などをマルクス主義に総合した「レーニン主義」が影響力を高め「マルクス・レーニン主義」が生まれ、そしてレフ・トロツキーによるマルクス主義の概念である「トロツキズム」、毛沢東による当時の中共の状況に適合させたマルクス主義の解釈である「毛沢東主義」(農民中心のゲリラ戦術などによる革命方式を主張)など、マルクス主義は革命の起こった国の指導者の考えや国情により多数の思想や理論、運動、体制となり世界へ広まっていきました。

社会主義は、社会的不平等の根源が私有財産制であることに位置づけ、私有財産を制限ないし廃止し、生産手段の社会的所有に立脚する社会を作ろうとする思想または運動といえます。マルクス主義もその一つということもできます。それでは共産主義と社会主義は一緒なのかと言うことになってしまいます。時代の変遷、一番大きなことがソ連の崩壊を筆頭とするヨーロッパの民主化により共産主義と社会主義の明確な色分けがつきにくくなってしまいました。

厳密に言えば両者には違いがありますのでそのあたりからもう少し説明してみます。社会主義を歴史的にいうと、市民革命により市民が基本的人権など政治的な自由と平等を獲得したが、資本主義の進展により少数の資本家と大多数の労働者などという貧富の差が拡大して固定化し、労働者の生活は困窮し社会不安が拡大したために、労働者階級を含めた経済的な平等と権利を主張したものとされています。市民革命と社会主義運動は、啓蒙思想と近代化では共通していますが、初期の資本主義が経済的には自由放任主義(夜警国家)を主張したのに対し、社会主義は市場経済の制限や廃止、計画経済、社会保障、福祉国家などを主張しています。

社会主義と言った場合は、ソ連が採用していたソ連型社会主義、そして現在欧州で広く採用されている社会民主主義のいずれかを指します。社会民主主義とは、社会連帯を重視し、市場経済を国家によって統制しようという思想が柱となっている事が大きな特徴で、端的に言えば大きな政府を目指す社会です。ソ連型社会主義とは「共産主義社会」を実現するための第一段階と言えるかも知れません。共産主義とは国家権力が死滅した世界その後に来るアナキストつまり無政府主義が究極の目的ともいえます。

共産社会を実現するためには資本主義社会を崩壊させるための戦争に勝利しなければなりません。社会主義とはこの戦争つまり世界大革命(その後に共産主義が達成される)を起こすための一時的社会のことであるともいえます。マルクスは1848年のドイツ革命が失敗した原因を、革命勢力が立法権のみの掌握にとどまり、軍事権を含む行政権を得られなかったからと考え、共産革命の成功のためには、その過渡期としてプロレタリアートの政治支配の必要性を主張しました。これがプロレタリア独裁で、ロシア革命を指導したレーニンが実践しました。
資本主義とは、経済活動の結果に応じて財を受け取る社会であり、生産手段は自分自身で持ちます。つまり結果を出せば出しただけ儲かるという主義といえます。競争原理で生産性を向上させ、結果として社会全体が豊かになるとしています。

社会主義とは、経済活動における労働力なり量に応じて財を受け取る社会であり、生産手段は社会参加者の共有となります。資本主義の、「金も能力もない奴は金持ちの奴隷、死ぬまで貧乏、生まれた瞬間に負け組」という欠陥を克服するために生まれたといえます。効率よく働き生産性を上げようが、適当に働き結果を残せなくても給料は一緒。日本には年功序列があり給料が変わるので、唯一成功した社会主義国とも言われます。
共産主義とは、経済活動において必要な時に応じて財を受け取る社会であり、生産手段は社会主義と同様に社会参加者が共有します。つまり人間の理想郷を作り上げようということで、農業機械も工場も社会参加者全員で使い、社会参加者全員が飢えず、苦しまず、豊かに生活して、できるだけ多くの給料をもらおうということです。みんなで頑張れば、みんなが幸せになれるという主義です。ワーキングプアや派遣切りを共産党が支援する理由です。

社会主義、共産主義の欠点は、人間の欲望というもの全く考慮していません。誰しもが、あの人よりこの人よりもという、人間なら自然と湧き出る感情は完全に否定してしまっています。理想主義であるがゆえに、何が何でも達成するぞという独裁者を生みやすく、その独裁者を倒す手段がありません。独裁者は、理想実現のため選ばれた指導者であるため、社会構成員を虐殺しようが経済を破綻させようが、いまだ理想実現の途中であると言明し片付けられてしまいます。

共産党や左翼過激派が、様々なセクトに分裂する権力闘争は、たった一人の独裁者にならなければ、後は平等だとされる多くの社会構成員の単なる一員になってしまうからです。従って少しでも主張の違いがあれば、それぞれが革命の過程において容認している暴力を用いても、独裁者を目指し分裂してまでも権力の座に着くことを目指します。 これほどまでに分裂してしまうのか、そしてしかもお互いにここまで憎みあうかと言う、何処がどう違うのかと普通一般人から見ると同じにしか見えないのに、多くのセクトに分かれていく理由は、左翼共産主義者・社会主義者たちにとっては唯一つの独裁を目指さなければ革命の意味はなくなると考えているのです。


それではどのような分裂により、左翼過激派まで生まれたのかを歴史的に検証してみます。

昭和30年代初頭、路線対立等の理由から、日本共産党を除名されたり離党した者が中心となって、日本共産党に代わって、我が国で暴力により共産主義革命を起こすことを目的とする集団が生まれました。これが後に武力闘争する左翼過激派です。日本共産党が、それまで採っていた武装闘争を極左冒険主義であったと自己批判し、昭和30年7月の第6回日本共産党全国協議会(6全協)で戦術転換を図ったことから、武装闘争の中心となっていた学生党員等の間で指導部への不信感が生まれました。また、時期を同じくして、共産主義者の間で絶対的存在であったスターリンに対する批判がその死後に高まり、ソ連が同じ共産圏のポーランドやハンガリーに対して武力介入を行ったことから、既存のマルクス・レーニン主義に対する懐疑も深まりました。

こうした状況の中で、スターリンと対立して暗殺されたトロツキーを再評価する動きが日本国内で高まりトロツキズムが研究され、それに基づく革命の実現を目指す元共産党員らが中心となって、昭和32年1月、日本トロツキスト連盟を結成し、同年12月には革命的共産主義者同盟「革共産同」と改称しました。これが現在の過激派の二大勢力である革マル派と中核派の母体です。連合赤軍、赤軍派も同様です。

昭和23年9月に日本共産党の指導下に結成された学生組織である全日本学生自治会総連合「全学連」は、日本共産党の路線変更や、消極的な指導方針に不信と不満を抱き、昭和33年5月に開催された全学連第11回大会では、日本共産党指導部に反旗を翻す全学連主流派と、日本共産党指導部に従う反主流派が激しく対立し、その後、大量の学生党員が除名等の処分を受けました。これを機に、全学連主流派は、完全に日本共産党の指導から離脱し、同年12月、独自に共産主義者同盟「共産同」を結成するとともに、昭和35年4月には全学連も共産同系全学連と日本共産党系全学連に分裂しました。これが現在の共産同系各派の母体となっています。

この他に、日本共産党が中国共産党との関係を断絶した時期に除名、離党した党員らが中心になって結成した親中共派や日本共産党の綱領論争の過程で離党した党員らが結成した構造改革派、社会党の青年組織である社会主義青年同盟「社青同」に入り込んだトロツキスト集団が後に組織を乗っ取る形で独立した革命的労働者協会「革労協」等が誕生し、現在の過激派の流れを形成しています。こうした過激派各派は、続く「60年安保闘争」において重要な役割を果たすこととなりました。つまり思想的には共産主義が基本であり、共産主義革命を目指していると言うことでは、共産党も左翼過激派も同じでありその目的の為には暴力も辞さないと言う共通点もあります。

社会主義と共産主義は、社会的な思想・運動としては一部は重複しており、一部が異なっているといえます。共産主義とはcommunismの訳語です。これは私有財産制を全面的に廃止し、生産手段を社会の共有にすることによって経済的平等を図り、人間社会の諸悪を根絶しようと説く思想または運動といえると思います。コミューンとは、産業化の中で解体した共同体の共同性と、市民社会で発達した個人性を併せ持つような、自由と平等が共に実現された理想の共同社会といったイメージになるのではないかと思います。

社会民主党つまり旧日本社会党は、西欧的な意味での社会主義政党だったと思います。日本共産党はソ連に本拠を置くコミンテルンの日本支部として創設されています。その理論はロシア経由の後進国革命の理論であり、旧社会党は先進国革命の理論としてのマルクス主義の側面を代表していると思います。

旧社会党には、1960~70年代には党内の有力勢力に、労農派マルクス主義と構造改革論がありました。前者は共産党から離れた山川均の系統です。日本共産党の二段階革命論(上述の一旦は社会主義をとる)に対し、一段階革命論を説きました。先進国の党派の中では最左派に位置し、議会主義でありながらもかなり行動的でした。後者は、イタリア共産党から輸入されたもので、武装蜂起・内乱型でなく、議会制民主主義に基づき、構造改革の積み重ねによって社会主義革命を実現しようとするグラムシ系の理論です。旧民主社会党は社会党の右派が、より穏健な議会政党となったもので、欧州の「社会民主主義」政党に近いものでした。旧社会党・民社党は共産主義には反対し、日本共産党とは一線を画していました。その違いは、暴力革命・一党独裁への警戒です。旧社会党・民社党は、革命を目指しますが暴力は否定し、独裁も認めていません。これは共産党との大きな違いと言えます。

日本共産党は、マルクス=レーン主義の共産主義政党ですが、これをごまかす為に昭和40年代頃から盛んに科学的社会主義という用語を多用しています。党の綱領でも、マルクス・レーニン主義から科学的社会主義と変えていますが、この理由はマルクス・レーニン主義の暴力革命・一党独裁を単に隠すためであり、二段階革命論、統一戦線戦術といった現綱領の基本路線にも変更はなくその本質は何も変わっていないのです。

マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を著した1847年には、社会主義と共産主義の違いは明瞭なものだったと思います。エンゲルスは、社会主義はブルジョアの運動を意味し、共産主義は労働者の運動を意味したと説明しており、マルクスもエンゲルスも共産主義者と自認していました。

社会民主主義は議会制民主主義の尊重や漸進的改革の主張を意味し、共産主義は革命によるプロレタリアート独裁の主張を意味しました。レーニンは1917年に出版された「国家と革命」でマルクスの「ゴータ綱領批判」を詳しく解説し、理論面でもマルクスの共産主義論を復権させています。以後、革命後の体制はプロレタリアート独裁期を経て社会主義へと移行し、さらに共産主義へと発展する、という考え方が定着しました。マルクスの言う共産主義の低い段階が、社会主義と位置付けられたともいえます。

資本主義社会をブルジョワジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)の階級対立によって特徴づけ、ブルジョワ的所有を廃止するためのプロレタリアートによる権力奪取を共産主義者の当面の目標としたのです。この革命によって階級対立は解消し、国家権力の止揚へと向かうことが可能となりました。そして最終目的である、各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件となるような協同社会(共産主義社会)を形成する条件が生まれるとしたのです。


共産主義そして社会主義の違いが、これまでの説明でぼんやりとは理解できたとは思いますが、日本共産党と旧社会党・社民党との違いから見てみたいと思います。

日本共産党は1922年創立で、天皇制廃止(制度ではないし、共産主義による共和国の反意語として使用された造語)、日本共和国設立、資本主義否定、護憲の立場を取っています。日本社会党は、毛沢東が日本社会党は不思議な党であると言及していましたが、戦後、労働農民党、日本労農党、社会大衆党が一緒になり日本社会党と名を変えて、天皇制容認、護憲で主に労働組合活動や男女共同参画活動をしていました。

1952年に吉田首相(親米)の暗殺計画「吉田首相亡き後に鳩山一郎(ルーピーの祖父)を首相にする目的」では、日本社会党による何等かの関与が伺えました。そしてこの計画には失敗しましたが、後に社会党と鳩山一郎(民主党)は共闘を組み、吉田内閣不信任案を出し、鳩山一郎を首相として選出しています。そして、鳩山首相(親ソ)は1965年に「日ソ国交回復」に調印したのです。孫のポッポルーピーの原点が見れたと思います。

日本社会党は、1970年代には中共共産党と親密な関係になります。田英夫は中共船による日本海領域や尖閣諸島の不法侵犯を擁護する立場を取りました。1985年、田辺誠委員長は中共に南京大虐殺記念館を設立するように進言して、3000万円を中共共産党に寄付までして建設させたのです。そして同じ年に日本国首相の靖国参拝を批判して中共に火をつけたのが、朝日新聞と社会党ということなのです。

朝鮮総連はもともと日本共産党の力添えで設立されたものです。1955年以前は朝鮮人共産党員が多数いました。吉田内閣打倒の方針で1952年のメーデーのデモは、共産党、社会党、朝鮮人が多数参加しており、上述した戦後の日本共産党の事件にも朝鮮人が多く関わっていたのです。しかし1955年には朝鮮総連が民族派主導により北のチュチェ思想に変わり、日本共産党は反発を示して総連から距離をおくようになり、代わって社会党が北朝鮮労働党と友好関係を結び、朝鮮総連と親密な関係になり、現在の親半島と言う社民党・民主党に至っているのです。

日本共産党と社会党の一番の違いは、プロレタリア独裁を認めるのが共産主義であり、認めないのが社会民主主義といえます。つまりいいかえるとレーニンの行ったソビエト革命の路線を肯定するか、しないかの違いでもあるのです。

広島の原水禁が分裂した原因はソ連の核兵器を許容する共産党と、許容しない社民党(社会党)の違いでした。確か前の秋葉広島市長は社民党だったと思いますが、北朝鮮の核保有には許容的な発言をしていました。アジア外交に関しては、社民党は土井前党首の出した「東アジア非核共同体」構想(東北アジア地域から非核化する。米軍基地の核撤去が含まれる)というのがあります。

日本共産党は、日本外交の転換策としてアメリカ外交偏重を改め、アジア外交を外交の中心にすえる、大国に追従しない自主・独立の外交を築く、侵略戦争と植民地支配への反省をアジア外交の前提にするとホームページで主張しています。両党は、現在のアメリカ中心の外交を転換し、アジアとの外交を重視するという点では一致してますが、その先の具体的なアジア外交ビジョンがあるか無いかに違いがあります。

自衛隊については、社民党は村山首相の見解に従えば合憲と認め、共産党は違憲だか存在は認めるつまり当面は利用する、という立場をとっています。両党とも国旗国歌には興味なしというか否定している立場といえます。日本共産党は共和制改憲が党是なので、日本人民共和国憲法の制定を目指していますが、社民党は党としては天皇制を認めていますが、辞任したばかりの福島議員は天皇制廃止改憲論を主張しています。

この論説の最大のテーマと言うことになる危険性ということで述べると、共産党そして同じ共産主義を基本とする左翼過激は、革命の為には暴力を否定せず、社民党は暴力を否定し民主的手段において革命を成し遂げる、という大きな違いがあります。

共産党が主張する「敵の出方論」とは、平和革命になるかどうかは敵の出方によるということであり、敵が平和的手段で無い限り暴力は行使すると言う見地を持っています。従って警察や公安調査庁は、共産党がいまだに武装闘争の危険性を残していると判断し、対象として監視をしているのです。

日本共産党は、戦後の暴力闘争が国民の支持を得られないと、それを隠すために党の綱領を科学的社会主義と、なんだかわけもわからないものに偽装し、一般国民には「微笑み戦術」としてソフトムードで、一見味方をするような耳障りのよい主張をして取り込んで行こうとしているのです。

そして警察に対しては「対警工作」というマニュアルを作成し、共産党革命の際には応援してもらう、応援まではしなくても見てみぬふりをして協力してもらう、等の目的の為それこそハニトラまでも用意して、警察に工作を仕掛けてきています。

共産党と左翼過激派は、共産主義思想による暴力革命により、国家を解体し、日本を転覆させようと目論んでいる団体なのです。国民一人一人がしっかりと認識し、先人が命をかけて守ってきた2673年続く日本を同様に後世にも引き継いでいかなくてはなりません。

参考文献 警察庁警備警察50周年
日本共産党の研究 立花隆


文: 右京雄一

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