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お盆(2013/08/15)

━━━お盆とは?━━━
お盆とは、太陰太陽暦の和暦の7月15日を中心に日本で行われている先祖の霊を迎えてまつり、そして送り出す行事のことです。現在、一般的には8月15日(旧盆)がお盆となっています。地域によっては、7月15日をお盆としているところもあります。

━━━お盆の由来━━━
お盆という言葉は仏教用語の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の省略形です。また、日本固有の祖先をお祭りする風習と盂蘭盆とが混ざって仏教の行事として行われるようになったともいわれています。

━━━盂蘭盆会━━━
盂蘭盆とは、サンスクリット語の「ウランバナ」の音訳で、「さかさにかかる」という意味です。亡くなった魂は逆さ吊りにされたような苦しみにいると考えられていました。そして、亡くなった魂をこの苦しみから救うために供養するのが盂蘭盆会という行事です。「盂蘭盆経」というお経に盂蘭盆会の起源が次のように書かれています。『釈迦の弟子である目連が修行中、亡くなった母親の姿を探していると、餓鬼道に堕ちている姿を見つけました。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出しましたが、すべて口に入る直前に炎となって、母親の口には入りませんでした。かわいそうに思って、釈迦にどうしたらいいのか相談すると、「修行の最後の日に僧侶全員に食べ物を作ってご馳走すると、母親にもそのご馳走のかけらが口に入るだろう」と答えました。その通りに、僧侶全員にご馳走すると、僧侶たちは飲んだり食べたり踊ったりと大喜びをしました。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている人たちにも伝わり、母親の口にもご馳走が入りました。』この供養が盂蘭盆会のはじまりで、日本では606年に推古天皇が盂蘭盆会を行ったのが最初です。

━━━お盆の風習━━━
お盆は日本全国に広まっているので、さまざまな様式があります。決まってはいませんが、全国に比較的広まっている風習として次の様なものがあります。

━━━釜蓋朔日━━━
1日を釜蓋朔日(かまぶたついたち)といって、地獄の釜の蓋が開く日で、一般的に1日からがお盆になります。この日からお墓参りなどをして、ご先祖様をお迎えします。

━━━棚幡━━━
7日は棚幡(たなばた)といって、ご先祖様をお迎えするための精霊棚とその棚に祭る幡(ばん)を作る日です。
※幡とは布などを材料として高く掲げて目印や装飾とした道具のことです。

━━━迎え火━━━
13日夕方の野火を迎え火(むかえび)といって、ご先祖様の霊をお迎えするものです。この後、精霊棚のご先祖様へ色々なお供え物をします。御招霊という大がかりな迎え火もあります。地方によっては、「留守参り」をするところもあります。
※留守参りとは、ご先祖様がいない墓に行って掃除をすることです。

━━━送り火━━━
16日の野火を送り火(おくりび)といって、ご先祖様の霊をお送りするものです。15日に送り火を行うところも多いです。京都の五山送り火が有名です。また、川へご先祖様の霊を送る、灯籠流しも行われます。なお、個人では16日から24日までにお墓参りをして、ご先祖様をお送りします。佛教ではお盆は1日から24日を指します。

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━━━盆踊り━━━
15日の盆の翌日、16日の夜に、寺社の境内に老若男女が集まって踊るのを盆踊りといいます。これは地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を表しているといわれています。最近では、寺社の境内以外でも行われることが増えてきました。

━━━地方の風習━━━
地方によっては、お盆の期間中に、ご先祖様の霊がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」(しょうりょううま)と呼ばれるきゅうりやナスで作る動物を用意します。4本の麻幹(おがら)あるいはマッチ棒、折った割り箸などを足に見立てて差し込み、馬、牛として仏壇まわりや精霊棚にお供え物とともに置きます。きゅうりは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように、また、ナスは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、また、お供え物を牛に乗せてあの世へ持ち帰ってもらうという願いがそれぞれ込められています。加えて、地方によっては「施餓鬼」(せがき)と呼ばれて、餓鬼道に陥った亡者を救ったり、餓鬼棚と呼ばれる棚を作って、道ばたに倒れた人の霊を慰めるなどの風習もこの頃に行われます。

また、盆提灯と呼ばれる特別な提灯を仏壇の前に飾ったり、木組に和紙を貼り付けた灯篭を流す灯篭流しや、提灯を小船に乗せたようなものを川などに流す精霊流しを行う場合もあります。

七夕(2013/07/07)

七夕とは、五節句の一つです。旧暦の7月7日の夜のことですが、日本では明治改暦以降、7月7日又は月遅れの8月7日に分かれて七夕祭りが行われるようになりました。古くは、「七夕」を「棚幡」と書きました。これは、もともと七夕がお盆行事の一環で、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方だったので、7日の夕方で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったといわれています。

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━━━七夕の由来
日本古来の豊作を祖先の霊にお祈りする祭り(お盆)に、唐から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん)が合わさったものと考えられています。また、唐から伝わった七夕伝説も有名です。日本では、お盆の行事の一環として、7月7日の夕方に「棚幡」が行われていました。精霊「棚」とその「幡」を安置するので、「棚幡(たなばた)」。それが、7日の夕方なので、「七夕」。そこから、「七夕」=「たなばた」となり、7月7日の行事となりました。

━━━乞巧奠
もともと唐の行事で、日本には奈良時代に宮中の節会としてとり入れられました。七夕伝説で2人が会えることを祝福して行われました。織姫が機織りが非常に上手だったので、それにあやかって女の子が手芸や裁縫などが上達するように祈ったものです。

━━━七夕の風習
短冊に願い事を書いて、笹竹に飾るのが一般的です。これは、江戸時代から始まりました。「たなばたさま」の楽曲にある五色の短冊の五色は、緑・紅・黄・白・黒のことです。こうして作られた笹竹を7月6日に飾って、7日夜に海に流すことが一般的な風習です。しかし、最近では、環境に対する問題もあるので、短冊に願いを書くことも、笹竹を海に流すことも少なくなりました。

━━━七夕伝説
tanabata_02.gif昔、天帝という神様がいました。その天帝には娘がいて、名前を織姫といって、天の川の西側に住んでいました。織姫は機織りがとても上手で、近所でも評判の働き者でした。織姫は年頃になっても化粧もしないで、毎日、機織りを一生懸命やっていました。その姿をみて、天帝は心配になり、娘の結婚相手を探すことにしました。すると、天の川の東側に彦星という牛飼いの青年をみつけました。彦星は毎日、一生懸命に牛の世話をする働き者でした。天帝はとても気に入って、2人を結婚させました。

ところが、一緒に暮らすようになると、2人は遊んでばかりで、まったく働かなくなりました。天帝が注意しても、働く気配がまったくありません。堪忍袋の緒が切れた天帝は2人を天の川の東と西とに引き離しました。するとこんどは、織姫は毎日泣いてばかりで働きません。それを不憫に思った天帝は、毎日一生懸命働くなら年に1度、7月7日に2人を会わせることを約束しました。それからは一生懸命働くようになり、7月7日になると天の川にどこからともなくやってきた鳥のカササギが橋を架けてくれて、2人は会うことができました。

というのが有名な七夕伝説です。7月7日に雨が降ると、天の川の水かさが増して、橋を渡れないといわれていますが、カササギがさらに増えて橋となってくれるという話もあります。また、この日に降る雨は催涙雨と呼ばれて、織姫と彦星が流す涙といわれています。

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端午の節句(2013/05/05)

端午の節句とは五節句の一つで、現在は5月5日です。菖蒲の節句ともいわれます。もともとは旧暦5月5日に祝われていましたが、今日の日本ではグレゴリオ暦の5月5日に行われています。また男の子の節句として、男の子の健やかな成長をお祈りし、いろいろな行事を行います。「こどもの日」として、国民の祝日になっています。

━━━端午の意味━━━
「端」は物のはしのことで、言い換えると「始り」という意味となり、もともと「端午」は月の始めの午の日のことでした。後に、「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったといわれています。また、旧暦では午の月は5月にあたり、もともとは午の月の最初の午の日を節句として祝っていました。のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったともいわれています。

━━━風習━━━
中国の晋では、端午の日には野原で薬草を摘んだり、菖蒲で作った船で競争したり、蓬(よもぎ)で作った人形や菖蒲を門にかけたりして、邪気を追い払おうとしました。これが現代の日本でも菖蒲や蓬を軒に吊るしたり、菖蒲湯に入る風習として残っています。日本には、五月忌み(さつきいみ)という田植えの前に田の神に豊作をお祈りするため、女たちだけで家に籠もって、穢れを祓い身を清める儀式があり、これが晋から伝わった端午と結び付けられました。もともと端午は女性の節句でした。

そして、鎌倉時代に「菖蒲」が「尚武」(武を尚ぶ)と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣の形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされて、男の子の成長を祝い健康を祈るようになりました。室町時代になると、鎧、兜、刀、武者人形や金太郎・武蔵坊弁慶を模した五月人形などを室内の飾り段に飾るようになりました。五月人形には男子の身体を守るという意味が込められています。江戸時代になると、庭前にこいのぼりを立てるようになりました。こいのぼりをたてる風習には男の子が立身出世することを祈願しています。基本的なこいのぼりは、5色の吹き流しと3匹のこいのぼりからなります。現在では、五月人形とこいのぼりが端午の節句での必需品となっています。

また、ちまきや柏餅を食べる風習もあります。ちまきを食べるのは、中国の楚の詩人屈原の命日である5月5日に彼を慕う人々が、彼が身を投げた汨羅江にちまきを投げ入れて供養したことが由来とされています。柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まっていきました。 男の赤ちゃんが産まれて、初めて迎える端午の節句を初節句と言って、親戚の人たちが集まって、お祝いをします。

━━━五月人形━━━
五月人形の始まりは、身代わりに厄を背負ってもらうための人形(ひとがた)でした。それが今でも続いていて、子どもが病気にかかったり、けがをしたりしないで、健やかに育ってほしいとの願いをこめて、飾ります。
五月人形には、兜飾り、鎧飾り、大将飾り、武者人形などの種類があり、春分を過ぎたころから4月中旬までに飾り始め、5月の中旬には片づけます。

━━━こいのぼり━━━
中国の後漢から伝わる登竜門の伝説で、竜門の滝を登り切って鯉が竜になれたという話があり、そこから鯉の滝登りは立身出世の象徴となりました。子どもが健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいという気持ちを込めたものです。江戸時代は真鯉のみで、明治時代から真鯉と緋鯉の対で揚げるようになりました。昭和時代には家族を表すものとして子鯉を加えたものが主流となりました。今では、緑や橙の子鯉も増えています。また、五色の吹流しは、子どもの無事な成長を願って「魔よけ」の意味で飾られています。こいのぼりには、「我が家に後継ぎとして男の子が生まれました」という天の神様への目印と近辺地域へのお披露目の意味があります。

━━━端午の節句の代表的な歌━━━

・「脊くらべ」作詞 海野厚、作曲 中山晋平
「♪柱のきずは おととしの〜」
・「こいのぼり」作詞 近藤宮子、作曲 不明
「♪やねより たかい こひのぼり〜」

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雛祭り(2013/03/03)

雛祭りとは女の子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事のことです。上巳の節句といいます。上巳とは「3月上旬の巳の日」という意味です。また、桃の節句とも呼ばれますが、これは旧暦の3月3日頃が桃の花の咲く時季だったからです。現在は、新暦の3月3日に行われます。

━━━雛祭りの歴史━━━
平安時代に貴族の女の子の遊びに「人形遊び」がありました。また、平安時代には「上巳の節句」として川へ紙で作った人形を流す「流し雛」がありました。これは、人形に自分自身の身代りとなって悪いものを引き受けてもらいそれを川に流すことによって、「災厄よけ」を行うという行事でした。これによって、雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になりました。

江戸時代になって、女の子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」とが合わさって、雛祭りとなり、雛人形を飾ることが全国に広まりました。江戸時代の初期はまだ紙で作られていましたが、時代が進むにつれて、今のように精巧で煌びやかなものになっていきました。また、左右大臣、三人官女、五人囃子などもこのころ増えてきて、今の形となりました。

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━━━雛壇の種類━━━
○親王(男雛、女雛)はそれぞれ天皇、皇后をあらわします。
○官女(三人官女)は宮中に仕える女官をあらわします。内1人のみお歯黒、眉無しです。(既婚者を意味しますが、生涯独身の女官の場合には年長者という意味です)
○五人囃子は能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわしていて、それぞれ「太鼓」「大鼓」「小鼓」「笛」「謡(扇を持っている)」です。
○随身の人形は随臣右大臣と左大臣と同時に衛士でもあります。
○仕丁は従者をあらわして、通常3人1組です。

━━━雛壇の飾り方━━━
最上段
男雛と女雛の内裏雛を飾ります。向かって左に男雛、右に女雛を置くのが関東流、その逆が関西流です。これは、もともと日本では「左」が上の位でした。明治天皇の時代までは左が高位という伝統があったので、天皇である帝は左に立っていました。しかし明治の文明開化によって日本の西洋化が進み、その後の大正天皇は西洋式に習って右に立ちました。それが皇室の伝統となって、昭和天皇はいつも右に立ちました。それをまねして関東では、男びなを向かって左に置く家庭が多くなりました。反対に永い歴史のある京都を含む関西や西日本では、古くからの伝統を重んじて、現代でも男雛を向かって右に置く家庭が多くあります。日本人形協会では昭和天皇の即位以来、男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」としていますが、どちらでも構わないそうです。後ろには金屏風を立て、内裏びなの両脇にはぼんぼりを、中央に桃の花を挿した一対の瓶子を載せた三方飾りを置きます。

二段目
三人官女を飾ります。三人官女は宮仕えの女官で、お祝いの白酒を持っています。向かって左から提子を持つ立雛、盃を持つ座り雛、長柄銚子を持つ立雛の順で飾ります。それぞれの間には高坏をおいて、桜餅や草餅など季節の和菓子をお供えします。

三段目
五人囃子を飾ります。宮中の演奏隊で、向かって左から太鼓、大鼓、小鼓、笛、扇を持つ歌い手が並びます。

四段目
向かって右に左大臣(おじいさん)、左に右大臣(若者)を飾ります。間には菱餅と白酒やあられなどを載せた膳部を飾ります。

五段目

雑役を司る仕丁3人と向かって左に右近の橘、右に左近の桜を飾ります。これは京都御所の紫宸殿の庭に実際に植えてある樹木の並びです。

六段目、七段目
最後二つの壇には、たんす、長持ち、鏡台、はさみ箱、茶道具、駕籠などの嫁入り道具を飾ります。

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━━━雛壇の飾り方━━━
一般的には、節分が終わってから節句の1週間前には飾り始めて、3月4日には片づけます。片づけが遅くなるときは、お内裏様とお雛様を後ろ向きにしておくことが多いそうです。また、地方によっては、旧暦の3月3日まで飾っておくところもあります。また、片づけが遅くなると、お嫁に行き遅れるといいますが、これは、なかなか片づけができない親の娘はぐうたらして嫁に行き遅れるという、親に対する戒めの意味があります。

節分(2013/02/03)

節分とは、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことです。節分とは「季節の変わり目」のことを意味しています。今では春の節分だけが行事として残りました。2024年までは2月3日になります。2025年からは閏年の次の年は2月2日になります。(2021年も2月2日になる可能性があります)昔から季節の変わり目には邪気(鬼)が出ると考えられていて、それを追い払うための悪霊ばらいの行事が行われています。それが、豆まきです。

━━━豆まき━━━
一般的には、鬼の面をかぶった鬼役に豆をまいて、まかれた豆を自分の年(数え年)の数だけ食べます。また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、病気にならないというならわしもあります。豆は「魔滅」に通じていて、鬼に豆をぶつけることによって、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味があります。今では、父親などが鬼役を演じていますが、もともとは、家長の父親か年男が豆をまいて鬼を追い払っていました。
※数え年とは生まれた年を1歳として、あとは元日になるごとに1歳ずつ加える数え方のことです。

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━━━恵方巻き━━━
恵方巻きとは、節分に食べると縁起が良いとされている太巻きのことです。食べ方は、節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かぶりするのが習わしとされています。商売繁盛や無病息災を願って、七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、ウナギ、でんぶなど7種類の具を入れることによって、福を巻き込むという意味があるともいわれています。「丸かぶり」の習慣は昔から芸者の世界でおこなわれていましたが、最近になって大阪の老舗寿司などが中心になってそれを商売に結びつけ、そこに海苔業界などが加わって、急激に認知されるようになり、今では節分には欠かせないものとなりました。

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※恵方とは歳徳神(その年の福徳を司る神)がいる方角のことで、年によってかわります。

お正月関連(おせち料理)(2013/01/01)

━━━由来━━━
おせちという言葉は『単調になりがちな生活の中、季節による節目をつけることによって、リズムをとる』という事と『その季節の節に収穫物を神々にお供えする』という『節供(せちく)』に由来しています。そして、供えたものを料理して自然の恵みに感謝して食べる料理を『節供料理』と呼ぶようになり、これがおせち料理のはじまりとなりました。

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その後、たくさんの節の行事が唐から伝わり、宮中を中心に『節会(せちかい)』として日本に定着しました。その節会のときに出された料理を『節会料理』と呼ぶようになりました。節会とは、『人日(正月の7日間)』『上巳(3月3日)』『端午の節句(5月5日)』『七夕(7月7日)』『重陽(9月9日)』の五節句がありましたが、時代の流れとともに正月という代表的な節目だけ残るようになりました。『おせち』と呼ぶようになったのは、実は戦後のことです。デパートで正月料理の箱詰めを売り出す際に高級なイメージを演出する目的で『おせち』という名前を初めて使い、それが世の中に定着していきました。

━━━おせちの中身━━━
おせち料理の重詰めには五段重を使いますが、近年では省略され三段重が利用される場合が多いようです。重箱に詰める意味は、めでたさを「重ねる」という意味で縁起をかついだものです。

五段重の場合
・一の重 − 祝い肴三種

・二の重 − 口取り、酢の物

・三の重 − 焼き物

・与の重 − 煮物

・五の重 − 控えの重

※「四」としないのは、「死」を連想させるから
※「五」は現在が満杯の状態ではなく、さらに富が増えることを願う意味をこめて

三段重の場合
・一の重 − 祝い肴三種、口取り

・二の重 − 焼き物、酢の物

・三の重 − 煮物

━━━基本の献立━━━

・祝い肴三種
おせち料理に欠かせない料理三種類。最低限この三つが揃えばおせち料理ができると言われ、逆にこれがなければどれだけ立派でもおせち料理とは言えないものです。黒豆・数の子・田作り(関西ではたたきごぼう)

・口取り
紅白蒲鉾・伊達巻・栗きんとん・昆布巻きなど

・酢の物
紅白なます・ちょろぎ・蕪の酢の物・〆サバなど

・焼き物
鰤・鯛・海老などの焼き物

・煮物
レンコン・里芋・昆布・くわいなどの煮物。煮しめ。

━━━代表的なおせち料理の意味━━━
黒豆…「まめに健康で働けるように」という願いが込められています。

数の子…子宝と子孫繁栄の縁起物として使われています。

田作り…豊作を願って、 イワシを田畑に肥料として撒いたことから名付けられました。

たたきごぼう…豊作のときに飛んでくる黒い瑞鳥をの形に似ているので、豊年の祈りがこめられています。

栗きんとん…黄金の塊を意味し、商売繁盛、金運をもたらす縁起の良い福食とされています。

昆布…「養老昆布」と書いて「よろこぶ」と読ませ、不老長寿とお祝いの縁起物とされています。

紅白蒲鉾…形が日の出に似ていることから祝膳に使われるようになりました。赤は邪気を払い、白は清らかな心を意味すると言われています。

レンコン…根に穴があるので、「将来を見通せるように」という願いがこめられています。

里芋…親いもになると根元に小いもがたくさんできることから、子だくさんを願うお祝い事に使われます。

海老…ゆでたり焼いたりすると、海老の背が丸くなることから、腰が曲がるまで長生きできるようにという願いが込められています。

伊達巻…卵を使った料理は子孫繁栄の象徴とされています。また、「伊達」とは華やかさ、派手さを形容します。華やかでしゃれた卵巻き料理ということで、お正月のお口取り“ハレの料理”として用いられました。語呂合わせや子孫繁栄の祈りというより色や形からおせち料理に登場するようになったようです。また、巻物に似ているので、文化発展を願う縁起ものという説もあります。

鯛…「めでたい」という語呂合わせです。七福神でも恵比須様が鯛を抱えていることから、鯛はおめでたい魚とされています。

━━━お屠蘇(おとそ)の由来━━━
お屠蘇とは、一年間の邪気を払って、長寿を願って正月に呑む薬酒のことです。数種の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)を日本酒にみりんや砂糖を加えたものに浸して作って、小・中・大の三種の盃を使って飲みます。基本的には関西以西の西日本に限られた風習で、他の地方では、単に正月に飲む祝い酒(ただの日本酒)のことを「お屠蘇」と言っている場合が多いです。飲む人の順番は、年齢の若い人から順に飲むのが正式です。これは、若い人が毒味をするという意味がありました。しかし、明治時代に家長から飲むことも増えてきました。

━━━お雑煮の由来━━━
お雑煮とは正月に多く食べられる、餅を主体として具材を入れた汁料理のことです。地域や家庭によって大きく違いがあるのが特徴です。お雑煮は、もともと武士の料理で、餅や野菜、乾燥食品などを一緒に煮込んだ野戦料理ではないかと考えられています。この料理が次第に武家社会では当たり前のものとなっていって、やがて一般的な人たちにも普及したといわれています。